はぐれた恋はずっとマイゴのまま

思ったことを、つらつらと

さよなら恋心

1週間会えないだけで、ただそれだけで寂しい、会いたいと思ってしまう自分が愚かだ。また来週、なんて言ってたくせに会えなくなるんだもの。ご機嫌を取るかのようにわざわざ電話かけてきて。今思えば1年前からわかりやすかったね。自分から誘った約束を寝過ごした時だって、普段送ってこない写真を送ってきて、返信なんてすぐに返ってきて。それで許してたわたしもわたしなんだよなぁ。そんなこんなで、全てに終わりを告げてきた。もう会えないと、会いたくないと。一度でも会ってしまえば意図も簡単に気持ちが戻ってきてしまうような気がする。気がするだけではなくて、きっと、絶対にそうなんだと思う。彼にとってわたしはどんな存在だったのか、ただの理解者の一人に過ぎなかった。どれだけ辛い時に支えても理解をしても寄り添ってあげても、どんなに辛くても彼はわたしのことを支えてくれなかったし理解をしようともしてくれなかったし寄り添ってもくれなかったと思う。思うということはきっとそういうこと。けれど一緒に居た時間はかけがえのないものだし楽しかったし、喧嘩もしたし、お互い泣いたこともあった。わたしは、どんな時も彼が好きだったんだ。もういいやと、1人で生きていけると思っていても、彼のことが大好きだった。朝だって早起きできたし夜遅くまでのバイトも頑張れたし、会えるという事実だけで原動力になっていたに違いない。ただ時折惨めになってしまうその感情に押し潰されてしまった。その結果0か100かしか受け止めきれなくて、それ以外のことはキャパオーバーになってしまって、その場の感情に任せて物事を伝えてしまったことにこれでもかというぐらいに後悔してるし、我慢していればまだ一緒に居れた?なんて考えたけれど、けれど彼はわたしに嫌われたかったって言ってきた。これ以上一緒に居ても仕方ない、答えを出せない自分が悪いと。先が見えないのなんて誰でも一緒なのに、先が見えないならもういいと意地を張ってしまったわたしの負けなのか否か。涙は出てきたり、かと思えば引っ込んだり。忙しいなぁ、なんて呑気に考えたりもして。このブログを書いている今は何故か涙が止まらないし、自分の持ってるものを犠牲にしてまでも一緒に居たかった感情は愛かどうかなんてわたしにはわからない。これで終わりにしていいの?本当に?と、自問自答しても時間は進むしさっきも座り込んで何もしてないのに2時間は経っていた。感情に任せて遠い行き先の電車に飛び乗ってしまおうかって何百回考えてきたかわからないけど、行き先を見てハッとしていつもの電車に乗ってやるせない気持ちになるのをやめたい。いつまで経っても現実と向き合えない自分が嫌になる。どんなに辛くても会いたくても声を聞きたくても自分が出した結論に向き合わなければいけないし、向き合わなければ前に進めないこともわかってる。けれど彼の存在というものがそれを邪魔をする。人のせい、なんて思われるけれど実際にそうなんだから仕方なくないか。世間でよく聞く、惚れたもん負け、という言葉が身に染みる。どれだけお互いがお互いのことを好きでも片方が歪んでしまったり、歯車が噛み合わなければそれは一生成り立たないんだなぁ、と初めて思った。誰だよ、努力は報われるなんて言葉生み出した奴。責任取れよ。それでも彼と出会って話したこと行ったところ全部全部わたしにとって、決してわたし1人では見れなかったし無理だと思うこともやり遂げてきたと思う。彼と見てきた景色はわたしにとって大きくて、小さくて、綺麗なものに違いない。こんな形でさよならなんかしたくなかったけれど、ごめんね、まだ好きなんだ。どうしようもないぐらいに。一緒に見てきた景色を永遠だと信じたいんだ。

 

上辺だけのさよならじゃ どれも意味を成さないんだよ

 

それじゃあね

 

さよなら、わたしの短いようで長い恋心